バンコクから「アユタヤ・ツアー」 [2013年バンコク]
アユタヤはバンコクの北、チャオプラヤ川の支流にあり、
稲作と水運を生かした水の都としてヨーロッパ等と交易し、
1350年からビルマ軍に占領される1767年まで、
王朝が置かれ栄えました。
「ワット・ヤイ・チャイモンコン」
1357年に初代ウートーン王が建立した寺院。
1592年に建てられた対ビルマ戦の戦勝記念塔とそれを取り巻く数十体の坐仏が有名ですが、
その脇でそっぽ向いて寝そべる巨大涅槃仏が面白い。
手入れが行き届いた寺院を世話する人たちも絵になります。
資料を手に坐仏をまわる地元の学生達の制服がかわいい。
脇に並ぶ壮麗な坐仏には感心なし・・・。
「ワット・ロカヤスタ」
蓮の花に頭を乗せる巨大涅槃仏は身長28m。
アユタヤ中期のもので1956年に復元されたらしいが、
すでに金箔が剥がれてまだらになっている。
寺院はほぼ廃墟と化しているが、
後方に傾いたクメール様式の仏塔が見える。
「ウィハーン・プラ・モンコン・ホビット」
15世紀建立されたらしい17mの仏像は、
鋳造製の仏像ではタイで一番大きいそうです。
ビルマ軍の攻撃で建物は破壊、仏像は損傷。
ラーマ5世時代に再建、1992年には金箔で覆う工事が完了した。
ビルマ軍の攻撃で損傷した仏像が露わになっていた当時の写真が、
内部の壁に展示してありました。
「ワット・プラ・シー・サンペット」
1491年に完成したアユタヤ王室の守護寺院。
セイロン様式の3基の仏塔には3人の王の遺骨が納められていて、
バンコクのワット・プラケオの仏塔の原型になっているらしい。
「ワット・マハタート」
1374年建立の大寺院で、高さ44mの黄金の仏塔があったらしいが、
1767年のビルマ軍の攻撃を受けほぼ壊滅。
多くの坐仏もビルマ軍によって全て首が落とされていて、
首なし坐仏が並ぶ景色は戦争の悲惨さを伝えます。
今首が着いているものは後から再建されたものらしく、
菩提樹の根に包まれた仏頭も哀しみをたたえています。
そして「象乗り」。
アユタヤでどうして「象」なのかと思っていましたが、
戦に破れて滅亡したアユタヤ王朝ですが、
当時は象に乗って戦っていたそうで、
タイの人達にとってはとても頼りになる大切な存在なのだそうです。
今回はホテル送迎、午前に水上マーケット、午後にアユタヤを回る1日ツアーで、
1,900バーツ(5,700円)でした。